10年以上前、20代の後半で初めて楽天証券で口座を開きました。
投資ブログから知識を得て、インデックス投資をやってみたいと、株式よりリスクが低いと思った債券クラスの投資信託、PRU海外債券マーケット・パフォーマーを手動で7万円ほど購入しました。(当時はまだ、投資信託の自動積立サービスはありませんでした)
- リーマン・ショックの大暴落で思考停止
- 投資は放置して忘却
- 不景気の転職は辛すぎた
- 再就職と子育て
- 2008年に買った投資信託を2013年に売却
- 投資の経験と知識をためる
- 相場の大きな急変は貴重な体験
- 暴落よりも生活の不安が大きい
- リーマンショックの学びは忘れない
リーマン・ショックの大暴落で思考停止
2008年の6月に投資信託を買って、8月に入って相場が急落し始めました。投資ブログも経済ニュースも大騒ぎになって、投資信託の基準価額もすごい勢いで下落しました。
下のスクショはPRU海外債券マーケット・パフォーマーの基準価額の動きです。債券ファンドですが、45%ぐらい下落しました。
それがリーマン・ショックの始まりでした。下のツイッターのリンクで当時の新聞紙面を見ることができます。
2008年10月10日リーマンショック時の株式新聞。貴重な資料。歴代5位の−9.6%。ニューシティリートが破綻し、先物にサーキットブレーカー発動。NYダウより下がる日経。株式新聞なのに銘柄を煽る事も出来ない。株価崩壊。続出する新安値銘柄と2桁に沈むゼネコン株。 pic.twitter.com/91il5Lnygv
— www9945 (@sp500500) 2018年5月30日
投資は放置して忘却
「株式より低リスクじゃなかったの?、なんか周りも大騒ぎしてるけど、何が起こってるの?」
それまで落ち着いた感じで運用報告をしていた投資系のブログも、中身が荒っぽくなったり、2度と相場は回復しない、崩壊した、という「この世の終わり論」もたくさん見ました。
私のほうは、どうすればいいのかわからないので、投信の含み損が急激に増えていくのをただ見ていました。
投資ブログや経済ニュースで色々な情報が飛び交い、どんどん相場が下がるので「何が本当かわからない、怖いことになっている、見るの止めよう」という投げやりな気持ちになって、投資に関して考えるのを止めてしまいました。
投信も外貨預金も放置して、楽天証券にログインもしなくなりました。売りはしませんでしたが、リーマンショックに負けて逃げちゃったわけです。
不景気の転職は辛すぎた
同じころ、結婚して遠方の夫の地元に引っ越すことになり、新卒で入った会社を退職しました。
ところが、夫の地元に引っ越してすぐに、夫がブラック企業のせいで体調不良となり、悪くなる前にと、夫も仕事を退職しました。
結局、結婚して直ぐに夫婦ともに無職になりました。「夫が仕事を止めるなら、私が仕事を止めなきゃよかった、何やってるんだ(泣)」と、すごく落ち込みました。
と、言いながら、楽天家なので無職なのに結婚式をあげてました。
なんとか、夫は結婚式の直前に再就職先が決まり、私も資格の勉強しながら、四苦八苦して再就職先を探しました。
リーマン・ショック後の不景気の中での転職活動は辛かったです。不景気で、応募しまくって一次の書類選考でお断りされまくりました。
机の上に積まれた不通過の書類が、床に落ちて散らばって夕日を浴びて、それをぼーと眺めながら、静かな部屋の中でじっと座ってたのを覚えています。
私は苦戦する転職活動のなか、給与や勤務条件を優先して、正社員を諦めて契約社員になりました。
再就職と子育て
再就職が決まったものの「正社員になれなかった、私のキャリアはもう終わった」と、ひっそり泣いてました。
そんなこんなで、夫婦とも、新しい職場で頑張って、数年後に、第1子が生まれました。生後4か月で育休を終わらせて、フルタイム時短なしで仕事に復帰しました。
この時は、全力フル回転、仕事も生活も育児も記憶がないぐらい忙しかったです。
外貨預金も投資信託も、心残りでたまに思い出すことがありましたが、そんな場合じゃない、めんどくさい、と放置し続けました。
2008年に買った投資信託を2013年に売却
ある日、「そう言えば投資はどうなったっけ?」と、我に返って、投資に気持ちと時間を向ける余裕が少しできたのが2013年でした。
リーマンショックの2008年から気が付けば、5年が経っていました。
久しぶりに楽天証券にログインすると、投資信託の基準価額は回復していました。
下のスクショはPRU海外債券マーケット・パフォーマーの基準価額の動きです。2008年から2013年にかけて、大きな鍋底を描いています。
債券ファンドなので円高の影響を強く受け、なんと株式ファンドより戻りが遅かったです。日本円で生活する自分には、外国債券クラスは決してリスクが低い商品ではないということがわかりました。
知らない間に相場は回復しており、7万円で買った投資信託は75,791円になっていました。投資はやり直そうと思ったので、トータル8.27%のプラスで売却しました。
投資の経験と知識をためる
我に返った2013年から、あらためて投資ブログを見たり、本を読んだりして、少しずつ投資の知識を増やしていきました。
知識だけではなく、経験も大事だよなと思い、自分のリスク範囲内の金額で、興味がある投資は取りあえずやってみようと手を出しました。
投資の経験がほとんどなかったので、まずはやってみないと、どんな仕組みの投資なのか、何が向いているか、判断はできないと思ったからです。
投資信託の積立を初めて、個別株を売買したり、社債を買ったり、ソーシャルレンディングをやってみたりしました。
2013年の終わり頃からブログを初めて、メモ程度の投資記録を付けました。
相場の大きな急変は貴重な体験
投資信託は7万円で小さな金額でしたが、同じ時期に500万円の外貨預金を持っていて、119円でドル転したので、円高が75円まで進んで、180万円の含み損を体験しました。
外貨預金で失敗した思い出と、現在のお得な為替手数料 - みとべのできるかな
一方で、フルタイム共働きなので、収入によって総資産額はどんどん増えていきました。
外貨預金も総資産に対して20%ぐらいだったので、為替が円安に振れるまで、気絶して放置することができました。リスク資産の割合が低いからこそ、長期投資を続けることができる、ということも学びました。これが、自分のリスク許容度の感覚についての初めての体験でした。
知識も経験もなかったので、大暴落に何も対応できず、単にじっと保有するしかなかったわけですが、総資産額に対して投資した金額が多すぎないことが功を奏して、仕事や生活に支障がでず、気持ちにも余裕がありました。
暴落よりも生活の不安が大きい
私の場合は、リーマン・ショック前後は結婚、退職、夫婦で無職(!!)、再就職と、投資どころではありませんでした。私を含めて大暴落後の不況は、投資なんかしてない人も含めて実生活や人生に大きく影響したと思います。
大暴落の本当の怖さは、経済活動が悪化し、投資する・しないに関係なく、リアルな生活や仕事にも影響することだと思います。
倒産や失業が増える経済不況を乗り切るには、投資のポジションは大きすぎないほうがいいと学びました。
リーマンショックの学びは忘れない
リーマン・ショック級の暴落は2度と起きて欲しくありませんが、相場の大きな急変を体験できたのは貴重だと思っています。
- 手動で購入する持続力は自分にはない、自動の積立がいい
- 仕事や生活が忙しくても、続けられるような投資がいい
- 暴落時は積立を継続した方がいい(リスク許容度の範囲で)
- 自分の投資方針がしっかりしていないと、相場の大きな急変には対応できない
- 総資産に対して投資するリスク資産の割合は多すぎないほうがいい
- 仕事(収入)は大切、不景気の時の転職は大変
知識不足だったので自分の考えも投資方針も何もなく、私は相場の急変にただ茫然とするだけでした。
気絶投資しかできませんでしたが、投資する金額を大きくしすぎないリスクコントロールと、投資を続けることの大切さを学びました。
投資を続ける限り、あの大暴落で学んだことは忘れないようにしようと心に決めています。
2011年の東日本大震災も大変でした。リーマンから震災の間は投資でも暗い話が多かった気がします。
東日本大震災前後の日経平均株価と日経VI、業種別のパフォーマンス
— みらいあせっと@東北投信🇨🇦🌴🇹🇭🍤 (@instockexnet) 2021年3月10日
>パニック的な急落期とは対照的に、リバウンド期間には論理的で秩序立った回復
コロナの下落の中で読みたい記事だったhttps://t.co/S5sI4HahqJ pic.twitter.com/hrDnAz6hYZ